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「まるで写し鏡」。自分の感情そのままに行動する飼い犬を通して見つめる自身の人生



それまで犬を飼いたいと思ったことはない。犬の匂いも嫌だった。それなのに、友達の付き添いで行ったペットショップではじめて「ふぁんた」と出会ったとき、その憂いを含んだような目に感じるものがあった。


シングルマザーで、当時は息子とふたり暮らし。息子も大人になっていく中で、二人きりの関係に息苦しさを感じていた。「一対一だと、必要以上にお互いを見てしまうじゃないですか。息子との間に何かを求めていた時期だったのかもしれないですね」


不思議と、何の躊躇もなくふぁんたを家に連れ帰っていた。究極の衝動買いだった。




◆子育てが終わって心に空いた穴


子育てが自分にとってとても重要だった。息子が独立した今、そう思う。自分の時間がない大変さから、早く息子が独立することを望んでいたが、いざいなくなってみると、心にぽっかり穴が空いていた。


「スーパーで買い物をしていても、何を買って、何をつくって食べたらいいのかわからなくなって、涙が出てくるんです。それまで、自分ではなく息子のためにご飯をつくっていたんでしょうね」。母親という役割が一段落したことで、自分の存在意義が揺らいだ。


そんなときも、いつもそばにいたのがふぁんただった。夜、背中合わせで寝ていると聞こえてくるふぁんたの吐息を背中で感じながら、お互いがお互いを必要としているのを実感する。ふぁんたと一緒にいることで、満たされるものがあった。


【視覚以外の感覚、特に聴覚が鋭いという盲目のふぁんた】


◆飼い犬を通して見つめる自分自身


子育て後の新たな人生を踏み出すため、息子との思い出が詰まった部屋を引き払い、新居でのふぁんたとの生活をスタートさせた。


朝仕事に出かけて、家に戻ってくるのは夜の7時前。夕飯をつくって食べて、ふぁんたにもご飯をあげる。ご飯を食べるときに必ずうなってほえるふぁんた。2回に分けた最初のごはんを食べたから、もう一杯くれという催促だ。


そんな感情表現が豊かなふぁんたの様子を見ていると、自分の分身のように感じることもある。「私の心が穏やかだとふぁんたも穏やかで、乱れているとふぁんたの心も乱れてしまう。自分から湧き出る感情そのままにふぁんたが行動してしまうので、ふぁんたを通して自分の感情を理解できるというか(笑)、不思議と自分を見ているような気分になるんです」




◆何をして生きていくのか問い続ける

「今まで生きてきた中での傷や後悔があるのですが、この子の面倒をみることで、そうしたやり場のない気持ちを、一つ一つ鎮めたり、手当したりしている、そんな感じがしています」


ふぁんたと向き合い、これまでの人生のモヤモヤを解きほぐしながら、これからの人生についても思いをはせる。「50代って中途半端で、いろんな意味で整理がつかないんです。おばあちゃんでもないし、若くもないしという中で、何をしていくのかというのは、同世代の友達とよく話しています」。


ふぁんたとの時間も永遠ではない。これから自分は何をして生きていくのか、常に問い続けている。





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